クラシックギターのフォーラム
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演奏家の為の 心のレッスン

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演奏家の為の 心のレッスン Empty 演奏家の為の 心のレッスン

投稿  remain-iihama 2009-04-10, 8:17 am

 最近色々な本(音楽に関する)を集中して読んでいる。
 その中で「インナーゲーム」を扱ったものがある。
 この本は、伸び悩みの上級者(又はプロ)や指導者等にとっては色々とヒントを与えてくれる。
 音楽に携わるもの(又は長年音楽にしたしむ者)は、自然と体で(頭で理解するのではなく)音楽を吸収しているものであり
 それをうまく表現できないのは、頭で考える事(全てをコントロール下に置こうとする)がかえって邪魔をしているというもの。
 楽器奏者でそこそこの技能の持ち主であれば、潜在的な能力を引き出すこと(これを可能にするのがインナーゲーム)で
 より音楽的なそしてより高度な表現が可能になるという。
 もちろんそれなりの演奏能力(その時点でもっている力)が前提だが
 多くの人は本来もっている力を100%発揮できていない。
 インナーゲームの技法を実践する事によってその力を解放し、
 100%以上の効果を発揮しうるという。
 これは人の感性(又はイメージ)を利用した音楽理論(はじめはテニスに適用されたものを音楽に応用)といえる。
 一読の価値はあると思う。
 
 
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演奏家の為の 心のレッスン Empty 心のレッスン。奥深い。。。

投稿  黒白・無外流 2009-09-03, 10:31 am

remain-iihamaさん、こんにちは。今日はフォーラムをいろいろ見させてもらっています。
心のレッスン、奥深いですね。あらゆる楽器や分野でも大事なことと常々感じます。気負いが過ぎると駄目だし、ましてや観客にかわいいおねんちゃんがいたら妙な色気をだして駄目だし(笑)、何度やってもその日の演奏は再現できないっていう感じですね。
僕も、今までで数回しか80点の演奏がないです。妙に程よく疲れている時など良かったり不思議なものです。場所も関係ありますしね。神社のお祭りで境内で演奏した時は不思議な感覚を覚えました。
フルートとの合奏、ソロ演奏などもあったのですが、「何かがいる」。そんな感じで、僕はそれを「音楽が降って来た」と勝手に思ってます。あの日は自然に指が指版に吸い付いていくような、自分が消え去ったような感覚におそわれました。それ以降まったく無いのが残念ですが。
結構、生徒にも言ってるんですが「自分が思うよりもっと音を聞く」=「音楽をする」ということは僕の教室でやってます。ギターは乱暴に弾けば音は勝手に伸びるから消え行くまでの責任を感じると、音楽に感謝出来ますものね。
分かる生徒は卒業が早いです。それで個性もいろいろ。僕も心のレッスンを生徒からもらっているようです。生き様様々、音楽人生様々。
秋の音、虫の音に心打たれる黒白でした。
また思いついたら書きます。 約束の怪しい念力(笑) bounce

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投稿  remain-iihama 2009-09-03, 8:44 pm

 黒白さん、レスありがとうございます。
 インナーゲームは潜在的な音楽力を引き出すヒントを与えてくれます。
 ただし、それ以前に音楽的な技術や感性を鍛えておく必要はあります。
 ですので何もしないで突然天才演奏家になれると言うものではないのですね(言うまでもないか)。
 ところで「演奏力」ですがこれは「人間力(感性といって良いかも)」と「表現力(情感を音に変換する力)」が大切になります。
 インナーゲームは本来その人のもっているそれらの力を出し切るための方法論と言う訳です。
 ところで私が今特に問題にしたいのは人間力の方です。
 多くの音楽家は疑似体験という形で人間力を養っています。
 しかし、実際に命がけの恋愛に敗れて死のうと思ったり、最愛の人を腕の中でみとったりといった
 実生活における様々な経験が多い人間には遥かに及ばないと思うのです。
 で日本に限らずの多くの音楽家はそういった実生活上の人間の機微に疎いのではないかと思います。
 ですので技術的には申し分のない演奏でも心に響いてこない演奏というものが割りと多く巷に流れているのだと思うのです。
 こういった経験不足を補う為にも多くの音楽や演奏に触れ、歴史や作曲家、音楽理論他を勉強するのですが
 それとともに「人間の心を知る」という事が必要なのではないかと思っています。
 これには様々な心理学や哲学、大脳生理学や人類学他、色々な学問が参考となります。
 私個人としては仏教思想(宗教学)が仕事柄ですが役立っていますが
 他にも人の本質を知るための学問なり方法はあるでしょう。
 そういえば昔、まだ我が子が小さかった頃ですが
 子育てと仕事をしながら通信制の大学で教育学を勉強をする事にしました。
 女房が「何で今更教育学を勉強するの?何の得になるの?」と言われた事があります。
 その時は言っても分らないと思い適当に答えましたが
 本当のところ損得ではなく、子育ての為の基本的な考え方を得たかったことと
 人の心を科学的に理解したいという目的があったのですよね。
 時間的に相当の無理があったので中退となりましたが、結果としてこれは良い経験(勉強)になりました。
 と言う事で、音楽家(演奏家)は人間力を養う努力をもっとすべきなのだと思います。
 人は何のために生きるのか?
 人が生きるとはどういうことか?
 音楽には命をかける価値があるのか?
 音楽は人を生かせるのか?
 などと時間が有れば皆様も少しで良いですから考えてみて下さいませ。
 以上思いつくまま書きましたので脱線してしまいましたがご容赦ください。
 黒白さん、また楽しい話をお聞かせくださいね~!
 ではまた。
 
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投稿  黒白・無外流 2009-09-05, 3:48 am

remain-iihamaさん、おはようございます。深いレスありがとうございます。
インナーゲーム、興味深そうですね。ちょっと図書館でも行って見ようかな。


 ただし、それ以前に音楽的な技術や感性を鍛えておく必要はあります。
 ですので何もしないで突然天才演奏家になれると言うものではないのですね(言うまでもないか)。

そうですね。表現、創るといった人間の行為は基礎的なベーシックがすべて必要です。それが最近はいいのか悪いのか情報が過多で振り回される危険性が大きい。着実な積み重ねと試行錯誤、内面を見つめる、探究心、調べる力。いろいろな要素の積み重ねが、アナログ的に必要なのに、ネットの罠というべきかな?。怪しい社会構造になってきています。 bounce

 しかし、実際に命がけの恋愛に敗れて死のうと思ったり、最愛の人を腕の中でみとったりといった
 実生活における様々な経験が多い人間には遥かに及ばないと思うのです。

この辺は僕は実は経験があって、音楽から逃げた時期がありましたね、、、、それが病気の発症になったきっかけでもあります。でも、避けられない運命でも災難、無情な悲しみは襲って来る。十年二十年という長い年月を経て、やっと心身が理解するという苦しい時間を過ごしました。これは、みんな人生様々なのでなんとも言えませんが、聴く人には僕の演奏に大きな影とそこに差す光の一筋のようなものを感じる、ようなことを言われたとき、「ほ?そうなのか」と。 感性豊かな方だったんでしょうね。。。

 で日本に限らずの多くの音楽家はそういった実生活上の人間の機微に疎いのではないかと思います。

誰しもする必要があるとは思わないのですが、ひとつのこと、例えばGuitarに生涯を捧げるとなると、日々日々、自分と向き合う、それも出来ることは練習しなくてもいいのだから、「出来ないことに取り組んでいく」というマゾヒティックな?(笑)行為の365日の繰り返しになります。そうなると精神的な世界に入っていきます。 例えば生涯、漫画に捧げた手塚治虫さん。どんどん精神的になっていき「火の鳥」や「ぶっだ」に顕著に現れています。多くの演奏家がそう言う精神的な世界に傾倒していくのは、同じことなんでしょね、きっと。
職人でも同じことですものね。
クラシックの世界は疎いのですが、Jazzの演奏家はそう言う側面で破滅したり様々です(笑)。僕も似たような破滅型で?演奏が伴わないんですが。

音楽家(演奏家)は人間力を養う努力をもっとすべきなのだと思います。
 人は何のために生きるのか?
 人が生きるとはどういうことか?
 音楽には命をかける価値があるのか?
 音楽は人を生かせるのか?

おっしゃるように、宗教、哲学、生理学、いろいろなことが道筋を照らしてくれます。仏教から聖書からイスラム教からチベット密教、ヒンズー教、心理学、ユング、グラフ、マズロートランスパーソナル心理学、機械学グルジェフ。哲学、ニーチェ、プラトン、ソクラテス。日本、神道、儒教、仏教各宗派。。。。書ききれないですがそんなこともかじったりしました。この辺は面白いんですが、時間がもったいないと言うか二兎を追えないですからね。

 黒白さん、また楽しい話をお聞かせくださいね~!

ちょっと真面目に書いてしましました(笑)。でも、こんな基本的な姿勢(演奏の前段階での心構え)は大切なことと感じます。

感じた怪しい念力!w bounce
またよろしくお願いします Smile

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投稿  remain-iihama 2009-09-05, 11:58 am

 黒白さん、ご苦労された方の仰る事はやはり重みがありますね。
 「演奏に大きな影とそこに差す光の一筋のようなものを感じる」
 と感想を仰られた方もやはり、それなりのご苦労をなさって
 そういった感性を身に付けたのでしょうね。
 さてさて、「言葉」は直接伝えたい対象を提示できるのがすばらしいところです。
 でもこの発信された言葉でさえ、正しく受信するという事は意外に難しいものです。
 いわんや、言葉の無い、インストルメンタル(歌のない演奏のみの事)でどれほどの事を伝えられるか。
 これには発信する側の技量もさることながら、受け取る側の力量も試されます。
 特にクラッシック音楽の世界はこの事を長い間追求してきたのですよね(そこが面白いところであり難しいところです)。
 まぁ、この様な事は音楽だけにとどまらずあらゆること(人のなす全ての事)に言えるのだと思います。
 そして、全てを極める事は一人の人間では不可能ですが
 その多くの基幹部分に共通する考え方や型(や方法)などを理解する事は可能です。
 「一芸は百芸に通ずる」とは、一芸を極めると、共通する考え方や型を発見し易くなり
 色々な芸にも応用ができるようになると言う事だと思いますが
 反対に「百芸に通ずるものは一芸を極める事易し」と言えるのではないでしょうか。
 で、自分はどちらかというと百芸から色々と学んで来た様に思います。
 これはとても遠回りで時間がかかる方法なのですが
 一事に執着する事無く広い視野で物事を観られるようになるれるという良い点(見方によれば欠点にもなる)があります。
 と言う事で、万事が全て勉強、となるわけです。
 学ぶ事は楽しき哉。
 知らない事は恥ずかしい事ではなく、知ろうとしない事が恥ずかしいのですよね。

 また話が脱線いたしました。
 色々と御苦心なさってきた黒白さんですのできっとお許し願えると思っております。
 ではまた。
 
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演奏家の為の 心のレッスン Empty 心の鍛錬。難しきこと也。歴史に思いをはせる。

投稿  黒白・無外流 2009-09-07, 1:29 am

おはようございます。レスありがとうございました。や~奥深い。このトピはなかなか楽しみになってきています! Surprised

 いわんや、言葉の無い、インストルメンタル(歌のない演奏のみの事)でどれほどの事を伝えられるか。
 これには発信する側の技量もさることながら、受け取る側の力量も試されます。

そうなんですよね。当たり前のことなんですけど、なかなか難しい。本当はステージ上がるところから演奏はスタートしていると昔、教えられました。「ここを、武道館だと思え、お前の一歩をもう観客を見てるぞ!」って。合宿でしたけど、そんなぶっ飛んだことを言うのは・・・僕の師匠でした(笑)。そのクラスに参加した50名強は一気に縮み上がりましたw。
結局、場所の雰囲気、お客さんのリラックス?、季節、時間、様々な要素が演奏に影響します。まあ、僕はJazzの演奏なんで、その辺は大きく作用します。真面目に下向いて聴いてる人、酔っ払っちゃった人(笑)、寝てる人。様々。毎回それも楽しみなんですが、僕は「その時間を共有した」と言うことに重きを置いてます。

聴きに来るという行為は大変な労力です。奇特ですbounce 。もし、僕が音楽をしていなかったら会うこともなかったのかも知れません。そう言うことを考えると・・・・・・・・深いなあって。演奏家は、自分で出来上がるのではなくて太古の時代から延々と炎々と受け継がれてきたものを、次に次にと継承してきたんですね。クラシックなどでは、中世の当時、聞く楽しみと言うのは凄い娯楽というか文化だったと思います。その空間の震える空気を共有し、脈々と受け継がれてきて、だからこそ生演奏に意味がある時代になってきた気がしてならないのです。

最近は良いのか悪いのか、Youtubeなどですぐに音源や演奏を聴けます。でも震えた空気や匂いは伝わらない。また学習者、学ぶものにとっても「苦労して探す」という「練習」と言う行為が省かれて来ている。これは、なんか残念。まあ、レコードを知らない世代も増えてきたのである意味仕方ないのかな。。。
このことは、歴史を学ぶ、音楽性を高める、心を育てることにたいせつなことと思っています。なので楽譜だけではなく、こういう情報交換が出来る。世代を超えて場所を超えて、ということは、大きな蓄積の過程の中でお金で買えない財産になる気がします。
まったくいいことです!。管理する側は大変で申し訳なく思っていますが、ご苦労様でございます。

 その多くの基幹部分に共通する考え方や型(や方法)などを理解する事は可能です。
 「一芸は百芸に通ずる」とは、一芸を極めると、共通する考え方や型を発見し易くなり
 色々な芸にも応用ができるようになると言う事だと思いますが
 反対に「百芸に通ずるものは一芸を極める事易し」と言えるのではないでしょうか。

例えば楽器の習得(音楽の造詣)があれば、他の楽器を学ぶに上達が早い。造詣が作用することもあるのでしょうけれども「練習する方法、やり方を知っている」というのが、周囲のミュージシャンを見渡してもそう思います。

昔、面白い生徒が一人だけいました。Guitarも触ったこともない、弾いてみたいのは昔の歌謡曲、という上智大学の学生でしたが6ヶ国語を話すやつで、レッスン最初の日。
Guitarを愛でるように愛し、チューニングの一音一音まで愛でている。コードを弾いても、弾いてその音が消え行くまでじっと聞いている。。。消え去っても、ゆっくり堪能している。 なんとも不思議な生徒でした。 言わなくても方法を知っている?。音楽を愛している?。1年ほど続き、世界の旅に出ましたが、そいつは凄かった。技量とかの問題ではなく姿勢が凄かった。
新潟に帰郷してからも何度かわざわざ尋ねてくる稀有な友人となりました。 これも妙縁なり。

 で、自分はどちらかというと百芸から色々と学んで来た様に思います。
 これはとても遠回りで時間がかかる方法なのですが

遠回りって最近いいな、って思えるようになりました。いろいろあって、クラシックギターに目覚め、ここのフォーラムにも参加させていただいて、やっとどんどん!素晴らしさが分かっても、すでに四十。Jazzに費やした時間が長すぎた。。。 これもある意味遠回り。Sorの作品を聞くたびに、「Jazzじゃなくてこっちの道を選べばよかった」(笑)、なんて思うわけですが時間の巻き戻しは出来ないし、それも個性になっていくのかな?と。 勝手な思い込みかな?怪しい思考w   bounce

 学ぶ事は楽しき哉。
 知らない事は恥ずかしい事ではなく、知ろうとしない事が恥ずかしいのですよね。

あくなき探究心がなにごとをも成長させてくれますよね。音楽に限って?考えても百回人生があっても足りない気がしますが、そう考えると開き直りも出来るような、、どこか僕は性分が怠け者のような・・・。 あれだけ読んだ本も最近は、わざと?遠ざかってます。病気のせいで読めないというのもありますが。。。 楽譜も結構しんどい。。。

 色々と御苦心なさってきた黒白さんですのできっとお許し願えると思っております。

いえいえ、楽しいです。こういう話は大好きですから。 僕の苦労は本人にしてみれば成るべく成ったもので、そんなに気にしてないんです。周りからは、苦労の多い奴だなと 揶揄されてますが bounce

では、また続けましょう。よろしくお願いします。

黒白・無外流

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投稿  remain-iihama 2009-09-07, 12:12 pm

 音楽は基本的には瞬間芸術です。一度放たれた音達は二度と戻る事はありませんよね(言わずもがな)。
 録音や録画で音や映像を再現する事はできても、
 夫々の音の持つ重みや厚み熱気や深みというメンタルな部分まで再現するにはまだまだ科学は稚拙なのだと思います。
 ですので生演奏を目の前で体験する事は、
 現在の科学では捉えきれない圧倒的な量の情報を心と体の両面で感じる(体感)事になります。
 そして決して同じ演奏にはならないのが生演奏ですし、聴く方も毎回同じではない。
 この組み合わせは無限といえます。
 仏教でいう「一期一会」がここにはあります。
 実際に触れて体で感じる一期一会をどの位積み重ねる事ができるかが「学び」にとって大切となります。
 これは、演奏だけに関してもいえる事です。
 一度出した音達は決して戻ってこない。
 ですので一音一音を慈しみ、確かめ味わい咀嚼する姿勢を持っている方というのは
 たいしたものだと思います。
 そういう方は、きっと物(だけではなく人間も)の大切さを知っているのだと。
 そしてそういう方の練習(とか活動)は質的に非常に濃い物であろうと想像いたします。
 ところで最近のお若い方はこの様な「学び方」が理解出来ていない様に思います。
 情報を知り情報を覚える事が「学ぶ事」と勘違いしているようです。
 で頭で理解できた事を、まるで自分が実行可能な事のように錯覚してしまう。
 物事を知る事は大事ですが、それだけでは生きた知識にはならない。
 実際にやってみて確かめてみてはじめて知恵になる。
 そういう手間がかかるのですよね。
 教育とはこの様な学習姿勢を醸造する物でなければならないのに
 ただ頭で覚えるだけで良しとしています。
 これでは実社会では通用しませんので、多くの社会的不適合者を量産している訳ですね。
 音楽にも似たような事が言えるのかもしれません。
 特に日本では(目に見えやすい)技術や理論が重視され肝心の心の部分(目に見えにくい)が置き去りにされていると感じます。
 当然欧米ではその点は違っていますよね。
 音楽の心を表現するために技術や理論があるのですから。

 話は変わりますが、全宇宙の質量の数パーセントが可視物質(観測可能な)ですが
 残りの質量は不可視物質のダークマターやダークエネルギーだといわれています。
 そしてそれらがこの三次元空間の性質を支配しています。
 人間社会も実は目に見えるものは量的にも大して重要ではなくて
 目に見えない物の方が大量にあり重要な物なのではないのか、
 見えないからこそ大切にしないといけないのではないか、と思うんです。

 またまた話が大分脱線しましたので
 今日はこの辺で。
 ではまた。
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演奏家の為の 心のレッスン Empty remain-iihamaさま、こんばんは。

投稿  yuki 2009-09-08, 6:58 pm

思慮深い投稿興味深く拝見しております。

論旨の一部のみについての質問で恐縮ですが、お尋ねします。
 
音楽にも似たような事が言えるのかもしれません。
 特に日本では(目に見えやすい)技術や理論が重視され肝心の心の部分(目に見えにくい)が置き去りにされていると感じます。
 当然欧米ではその点は違っていますよね。
 音楽の心を表現するために技術や理論があるのですから。
おっしゃることに異論はないのですが、それ以前の問題として弾き手が何を表現したいのかをどうやって自覚するか?という
疑問があります。わたしのような単なる素人を例に取るのは適切ではないかもしれませんが、ある曲を前にして、どう弾くか?
狭い意味での楽曲の解釈と言うよりは、その曲から何を感じ、どのようなイメージを持つか?という部分でわたしは途方にくれる
ことが少なくありません。楽譜をもっとちゃんと読める(いわゆる分析も含めて)ようになれば何がしかは違うのかもしれませんが
そもそも、まったく漠然としていてその曲のイメージと言われても捉えどころがない場合が多々あります。

そのあたりについてはどうお感じになりますか?


 

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投稿  remain-iihama 2009-09-08, 9:07 pm

 ある曲を演奏する場合、ある程度曲想を定めて表現しなければ、ただの棒読みの朗読の様になってしまいます。
 この曲想をどうやって定めていったらよいか、というご質問だと思います。
 まずその曲がどんな風に生まれ(作曲され)たのかという事、
 どの時代に誰によってどんな目的で作曲されたか、という事はまず知っておきたいですね。
 次に曲の構造や構成、フレージングやブレス、和声構造他をアナライズする事も大切です。
 特に西洋のクラッシック音楽だとすると(表現の仕方にそれなりの法則性やお約束がありますので勉強する事)、
 以上を実行すれば 全体の大まかな表現の方向性が決定できます。
 そして細部に於いても厳密に分析する事で細かいニュアンスをつける事が可能になります。
 と言っても、はじめの頃は自分で全て考える事は不可能ですので、
 まずは他人(プロや巨匠)の演奏(ギターに限らず色々な楽器の演奏やアンサンブルも)を参考にして、真似てみるといいでしょう。
 この楽譜がどうしてそのような演奏になるのかという事を考えて聴くと
 演奏者の意図や表現の方向性が見えてきます。
 
 また以下はアマチュアだからできることですが
 楽譜を穴のあくほど見て(正確に)何回も何回も弾き込み、
 録音(自分の出す音を聞き取れれば必要ないかも)して検証しつつ また弾き込む。
 こんな事を繰り返していくうちに、ここはこうしたらどうだとか、ここの弾き方は良かったから次もやろうとか
 ここはこの次は違う音色にしてみようとか、とにかくまた楽譜を見直して弾いてみる。
 なんて事をしている内に曲の全体の表現が固まっていきます。
 私なんか、一つの曲(もちろんたった一曲だけ弾くわけではないですが)を何年でも繰り返し弾き続けています。

 ただこれだけはいえると思います。
 どんな曲にも表現したい事や作曲意図があります。
 ですので練習段階でははじめは間違っても良いですから、表現をつけて演奏すること。
 そして自分の演奏の間違いを見つける努力をする事。
 一つの曲を長年弾きつづければこれができます。 
 
 さて、日本人にとって西洋音楽(クラッシック)は外国文化の音楽芸術です。
 日本には日本独自の音楽があり、文化的には民謡や演歌、雅楽他邦楽が存在します。
 西洋音楽とこれら邦楽にはとても大きな違いがあり、
 日本人が西洋音楽を本当に理解するためには文化の違いから理解する必要があると思います。
 例えば民謡や演歌の心は理論や形で表現できる物ではなく日本人の文化に由来する物ですから外国の方には理解しにくいように
 逆に西洋の音楽の心も日本人には本来理解しにくいと思っています。
 しかしながら多くの西洋音楽と触れ、理解し同化する努力を惜しまなければ(郷に入れば郷に従え)、
 その根幹の心を知る事ができるのではないかと思います。

 ところで日本と違って西洋の音楽教育は、、音楽の心をどう表現するかを軸としていると思っています(違うかも?)。
 技術や理論はそれを実践する為の道具と言う訳ですね。
 そういえば「のだめカンタービレ」でのだめが外国の音楽大学のピアノの教授にレッスンを受けるシーンがありました。
 以下が要約ですが
 のだめは、難しい曲をバンバンと弾き、技量を見せ付けようとしましたがそれを聴いた教授は
 「君はいったい何を弾きたいんだい?」
 「この曲を君より上手く弾ける人間は五万といる。」
 「君の弾きたい音楽はこんなのじゃないだろ?」
 つまり、技術的に上手いか下手か以前に、音楽を表現する心を見せて欲しかったわけですね。
 
 日本の音大では主に技術的な指導が軸になります(今は違うかも?)。
 はじめに早く正確に弾ける事ありき。その後肉付けをするという考え方です。
 これでは面白いレッスンができるとは思えません。
 練習も辛いばかりで毎日苦闘することになりかねない。
 ギターも同じでしょう。

 毎日早引きスケールを繰り返し正確に弾く事に専念すればするほど、目的の音楽の心から遠ざかってしまう。
 かつて私も経験しました(苦しかったです)。
 ところが(私は)最近は、自分が欲する表現を実現したい為に練習しています(焦る必要はないので)。
 すると練習が苦にならない(というか苦になるほど弾き込まないのですが)。
 そして、しっかりとした目的(意識)をもった練習(練習の為の練習ではなく)は成果も上がり易いと思います。
 上手くなっている(と言っても私の場合は何年というスパンですが)と感じると嬉しいし、またやる気が出ます。
 同じ曲を何年弾いていても、段々うまく弾けるようになっていく事(目標の演奏に近づく事)で、全然飽きないですよ。
 まぁ、これは年数に囚われない環境があるからですが
 もし何年か後のプロを目指すというならそれなりの練習が必要になりますよね。
 でもやはり目標は理想の音楽表現を実現する事に置くべきであり
 そのためのに日々練習をするという事になろうかと思います。
 そして人と比べて自分に限界を作ってしまうと前に進めなくなりますから要注意です。
 
 以上、ご参考にならなかったかもしれませんが
 思いつくまま書かせて頂きました。
 悪しからず。 


最終編集者 remain-iihama [ 2009-09-11, 10:20 am ], 編集回数 1 回
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投稿  黒白・無外流 2009-09-09, 10:23 am

remain-iihamaさん、こんにちは。

 ところで最近のお若い方はこの様な「学び方」が理解出来ていない様に思います。
 情報を知り情報を覚える事が「学ぶ事」と勘違いしているようです。

ネット社会、情報過多の社会の弊害ですね。僕は数十年前からJazz関係の雑誌の講読さえやめてしまいました。理由は音楽そのものは、言葉を広げたところで「百耳は一聴にしかず」といったところでしょうか。アルバムだけでも聞き込むだけで生涯足りないほどありますし。じっくり、昔のレコードを聞くような聖なる儀式?のように聞くことが少なくなりましたね。針を飛ばさぬようそっと大事に大事に大切に・・・・・・・・。現在では笑われちゃうかもしれません。

 実際にやってみて確かめてみてはじめて知恵になる。
 そういう手間がかかるのですよね。

あ~・・・・そうなんですよ。僕のところに来る生徒の90%はそう。教則本や大手教室の本はものすごい買わされてるwらしいのですが、知識だけが先行して「自分の音楽が散らかって」しまってる。せっかく、人生の時間の一部を割いてるのだから、奏でる音、音楽をもっと愛でてあげればいいのに。と。

なので、例えば理論が学びたいとか言われても、先にはしません。音の移ろいを体中に染み渡らせてから・・・・。これは僕にも言える。教えられて初めて智恵になる。毎回勉強になってます。全然宣伝してない教室なんですが(笑)

 教育とはこの様な学習姿勢を醸造する物でなければならないのに
 ただ頭で覚えるだけで良しとしています。
 これでは実社会では通用しませんので、多くの社会的不適合者を量産している訳ですね。

ちょっとずれますが、政治で揺れている最近。子育てに政治の給付が騒がれてますが、負担軽減じゃないんですよね。これは言いたいな。その給付によって、「親として与えられる時間」を、親にしか出来ない教育に使えるのか?。教育、子育ては学校任せじゃ駄目なんです。高齢者といわれるご高齢の方の叡智、日本人である事の意味、存在意義、衣食住の意味、礼儀、作法。外人の方がよく知ってるほど、日本には大事な文化があります。僕は少なくともそう思ってます。

なのに悲しいかな。アメリカ追従で変な個人主義、貨幣第一経済主義になってしまった。本来の豊かさを知らない。例えば青春時代に楽器が好きでやっていても、仕事に追われ遠ざかる。まことに生活文化が貧しい。音楽を聴くことさえ忘れてしまう。そう言う仕事に追われるサラリーマンは、悲しいことにいいものを持っていても物理的にレッスンが続かない。

生涯勉強が忘れ去られているのですね。「教え育む」本来の意味が、学校にお任せになっています。
なので、その生徒が卒業しても、今のような不均衡なへんてこな社会になるわけですね。そこにさらに適合できないのは良いのか悪いのか(笑)。多少、エネルギーが有り余っていて若気の至りだらけの方が、面白いんだけどこじんまりしているなぁ。。。

目に見えないものは大切です。もしかすると音楽は「心の目」で見られると僕は即興の世界なので、感じますね。(あ・・・コロコロいい音だな)と反応。良すぎると寝ながら演奏して我に返って、「どこやってるんだっけ???・・・・・・・・・・・」と砂漠になることも(笑)。風、日差し、空気、水、匂い、四季。いろいろ感じるなぁ。
そう言うものも大事ですね。

僕も脱線しました(笑)

黒白・無外流

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投稿  yuki 2009-09-09, 5:49 pm

remain-iihamaさん、詳細なコメントありがとうございます。

スレッドの趣旨からいささかはずれた感のあるわたしの投稿でしたが的確なコメントをいただき恐縮です。
一点、これはと感じ入った部分について思うところを書かせていただきます。
remain-iihama wrote:
 ただこれだけはいえると思います。
 どんな曲にも表現したい事や作曲意図があります。
 ですので練習段階でははじめは間違っても良いですから、表現をつけて演奏すること。
 そして自分の演奏の間違いを見つける努力をする事。
 一つの曲を長年弾きつづければこれができます。 
 
 中略
 
 日本の音大では主に技術的な指導が軸になります(今は違うかも?)。
 はじめに早く正確に弾ける事ありき。その後肉付けをするという考え方です。
 これでは面白いレッスンができるとは思えません。
 練習も辛いばかりで毎日苦闘することになりかねない。
 ギターも同じでしょう。
かつて以前のフォーラムに投稿したことがある私の私見ををご記憶の方はいらっしゃらないと思いますが
remain-iihamaさんのこの文章を拝見して思い出しました。音大というアカデミックな教育機関でなくとも
巷のギター教室の類でも、同じようなことがいえると思います。そのとき私は質問の形で、楽器にかかわらず
音楽を教えてもらえるような場所はないでしょうか?とみなさんにお尋ねしました。今でもこのスレッドで
remain-iihamaさんに愚にもつかない質問をさせていただきましたが、音楽の基本というより音楽に接する
態度というか姿勢のようなもの、一見他人から教わるようなものではないと思えますが、そういうことを
実際に楽器を弾きながら身につけられるようなことができれば?との思いが嵩じて投稿させていただいたわけです。

その意味で最近特に考えるのは、何の曲であれ初めて弾くときからすでにどう表現しようか?ということを
念頭において、かつ実践するのが一番ではないか?と言うことです。指が満足に動かない内でさえ、こう弾きたい
ということを優先させるとでも言いますか。むろん、初見ないしは何回か弾いても技術的な部分でまったく音に
ならないというのは現実的ではありませんから、自ずと対象となる曲はあるとおもいますので、別のスレッドで
書いた「自分の技量に見合った」と言うのはそういう意味でもあるわけです。

現在そうした私の思いを汲んでくださる素敵な先生に、不定期ですがみて頂いております。

yuki

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演奏家の為の 心のレッスン Empty 音楽するという事

投稿  remain-iihama 2009-09-09, 8:58 pm

 音楽って誰が聴いてもいいものですよね。
 分るとか分らないではなく直に心に響くもの。
 芸術とは本来はそんな物だと思います。
 発信する側と受け取る側の違いはあれど
 思いは同じなのだと思います。
 
 ですので私は自分の演奏を聴いて、自分自身が感動できるかどうかをいつも問うようにしています。
 これは他人が聴く事など前提にしていませんので、究極の自己満足かもしれませんね。
 できるかどうかは別にしてこれが今の私の音楽に相対するスタンスといえます(ただの音楽好きなおっさんの一人としてですがね)。

 例えば取るに足らないような簡単な単旋律の曲でも、
 どう弾いたらその曲を生かせるのか、どのような音質でどのような表現が可能なのか、
 どんな曲想が良いのか等など色々考え、試しながら弾いていくと
 そんな単純な曲でも、無数の音楽表現が可能だと言う事に気付きます。
 そしてその中で自分がベストだと思う演奏ができるようになるにはとても時間がかかります。
 妥協すれば早いですが、それでは練習にはなりません。
 この様な練習を積み重ねていくうちに、他の曲でも応用が利くようになって行きます。
 練習曲とはこのような事を前提として練習する事によって
 音楽の基本的な組み立て方や演奏技法を習得できるように作られているのだと言えます。
 だからこそ練習曲は、長年にわたり繰り返し弾くことで、理想の演奏を目指す為の基本となるのだと思います。

 さて、どうしたら自分の演奏に思いを込められるかは
 自分の音楽に対する強い思いいれ次第であり
 必要になるテクニック他は後から研鑚していけば良い。
 と言う事でまずは音楽をする為の心の育成が大事になると思っています。

 少し抽象的ですが
 良い演奏をいっぱい聴き、いっぱい感動して、憧れて、尊敬して、
 弾いてみて、試してみて、考え悩んで、教えを乞い、苦しんで、限界(自分)を越えて、
 少しずつ憧れの演奏に近づいていく喜びを感じ、
 そして、自分が感動できる演奏ができるようになった時、
 今度は他人から求められるようになるのだろうと。
 
remain-iihama
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演奏家の為の 心のレッスン Empty 黒白さんへ

投稿  remain-iihama 2009-09-10, 7:39 pm

 政治についてここにて言及するのは不適切だと思いますので
 突っ込んだ話は他でという事にしますが
 鬱のかたがたについてちょっと。
 多くの鬱でお悩みの方を存じておりますがその原因はまちまちです。
 しかし、多くの方が現代社会の非人間的仕組みや合理的効率主義の犠牲者だと言えると思います。
 ですので「社会的不適合者」という表現には「社会自体の非人間化」による人間性排除の機能により排除された人たちも含まれています。
 この場合、社会のあり方自体に問題があり、排除された方々こそ、より人間的なまっとうな方といえるのかもしれません。
 と言う事で私としては現代の社会のあり方そのものを全肯定するものではありませんのでご理解くださいませ。
 その上で、鬱でお悩みの方々にとって、音楽が心を癒すための方法として大きな役割を果たすのではないかと考えています。
 さて、合理化や効率化で失われいてくもの、欧米の資本主義経済が失わせたもの、物質至上主義により見えなくなったもの、
 高度情報社会によりかえって見えにくくなったもの、便利さとひきかえに失ったもの、etc…… 
 等など目に見えない、文化や心は、実は本当に人間らしい生活をおくるためには必要なものだったのではないでしょうか。
 今人間は自然さえも失おうとしています。
 物や金、地位や名声、機能性や便利さ、等を得るために自分たちの命を引き換えにしているのだと、いつになったら気が付くのでしょうか。
 音楽は人間らしさの象徴であると思います。
 せめて音楽は人の心を救い続けて欲しいと。
 話がそれましたので戻します。
 「心の目」というか感性を育てるについてですが
 これには例えば
 幼い時から良い環境(人間的な情緒豊かな社会)で育てる事が一番ですね。
 大自然に触れ、四季の移ろいを感じ、自然の厳しさを知り、恵みに感謝する。
 親の愛情(猫かわいがりする事ではありません)と人の人情にあふれた生活をおくり
 人の可能性を伸ばす教育を受ける。
 良い友達や良い先達と交流する。たくさん本を読む。
 自分の心と他人の心を大切にして、人間を好きになる。
 そして、美しい物やすばらしいものに触れて感動する。
 で音楽を聴いて心を癒せる、そんな心を養う事ができれば
 きっと素晴らしい感性の持ち主になるでしょうね。

 でもそれにはまず大人が変わらなければなりませんよね。
 我々大人に課せられた使命は大きいと感じます。
 
 ではまた。
 
 
 
 
 
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演奏家の為の 心のレッスン Empty Re: 演奏家の為の 心のレッスン

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